3億5000万年の時を遡る、五感の旅をしよう
「飽きっぽい性格なんです。同じことの繰り返しが苦手で、常に変化を求めています」
朗らかな笑顔でそう話すのは、山口県美祢市で「美祢魅力発掘隊員(地域おこし協力隊員)」として
ケイビング(洞窟探検)ガイドを務める定野愛美さんです。

2025年に国定公園指定70周年を迎え、ユネスコ世界ジオパーク認定を目指す「Mine秋吉台ジオパーク」。定野さんは、週に3、4回は秋吉台にある日本最大級の鍾乳洞・秋芳洞に潜り、その奥深い魅力を
来訪者に伝えています。普通なら“慣れ”が生じそうなものですが、「秋芳洞は何度入っても大きいまま。入るたびに新しい発見があるんです」と目を輝かせます。

今でこそ、洞窟とともにある生活を送る定野さんですが、元々はインドア派で、自然とは無縁の幼少期を過ごしていたと言います。価値観が180度変わった転機はなんだったのか。なぜ彼女は洞窟ガイドという天職にたどり着いたのか。その軌跡を追いました。
探検への扉を開いた、雨中の「ぐちゃぐちゃの弁当」
北九州市で育った定野さん。「自然は身近にあったものの、家族みんなインドア派で、山登りや海水浴に行った記憶はないんです」と振り返ります。そんな彼女の価値観を揺るがす体験が、小学5年生の時に訪れます。
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地元の青少年自然の家が主催する「チャレンジ100km」という5日間のイベントに参加した際、山道を歩く途中で、強い雨に見舞われました。
「雨の中で、ぐちゃぐちゃになったお弁当を食べたんです。でも、それが信じられないくらい美味しくて。疲れた体に沁みわたるような……今まで味わったことのない感覚でした。山の頂上から見た景色も本当に綺麗で、その時から自然に対してすごく良いイメージを持つようになりました」
この強烈な体験が、彼女の内に眠っていた冒険心の種を芽吹かせました。

その冒険心が一気に開花したのは、立命館大学探検部での活動でした。新入生歓迎合宿で訪れた岡山の洞窟。水の中をジャバジャバと進む非日常的な体験に、定野さんは「楽しい!」と心が躍りました。
すぐにケイビングの魅力に惹きこまれ、とりわけロープを使って垂直に落ち込む「縦穴」を調査する活動にのめり込んでいきました。木を使った基礎的なクライミング訓練に始まり、複雑な地形を進むための高度なテクニック、仲間と互いに助け合うレスキュー訓練まで、着実に技術を身につけていきます。
そんな定野さんの冒険心に、さらに火をつける出来事が訪れます。ある時、海外で新洞窟の探査地域を探していたところ、知り合い伝手に「スンバ島にはケイバーが一人だけいる。ただ人数が足りず、洞窟の調査が進められずに困っているらしい」という情報が入ってきました。
早速そのケイバーに連絡を取ってみると、「島には未探査の洞窟が100以上ある。ぜひ一緒に調査してほしい」との返事が。

インドネシアでも“精霊が宿る”として知られる秘境・スンバ島。その中でも、現地の人々が恐れて足を踏み入れない未踏の洞窟です。現地の国立公園職員は同行こそあったものの、調査隊は学生8人のみ。まさに“本物の探検”と呼ぶにふさわしい挑戦が始まりました。
しかし、その調査は想像以上に過酷でした。調達していた食料は不足し、特にタンパク質が慢性的に足りない状態に。さらに干ばつが続き、事前調査で決めていたキャンプ地の川が枯れ、飲み水までもが不足する事態に陥ります。
「本調査前後で、体重が10kg落ちました(笑)。ものすごく大変でしたが、他では味わえない達成感や爽快感をはじめ、いろんなものが得られました」

スペインで受けた一本の連絡
そうした大冒険を経て、大学院修了後は塾講師として働きますが、冒険への探求心は尽きませんでした。未知の世界への思いが募り、定野さんは一度日本を離れることに。ワーキングホリデーでスペインへ渡った1年間は、彼女の人生観をさらに豊かにします。
「スペインの人たちって、人生を楽しむことに全力なんです。仕事はそこそこに、遊びの計画は綿密に立てる。人の目を気にせず、自分がいいと思ったものに価値を置く文化に触れて、すごく開放的になりました。私自身、『好きだと思えることをやりたい』とシンプルに思いましたし、どんな人でも受け入れられるようになったというか、許容範囲が広がった気がします」。

スペインでの生活が終わりに近づいていた頃、一本の連絡が舞い込みました。それは、大学時代に秋芳洞を訪れた際にお世話になり、ケイビングの師でもある美祢市職員の村上崇史さん(日本洞窟学会 元副会長)から「美祢市で洞窟ガイドを募集しているけど、どう?」という誘いでした。
「大学時代はあんなに洞窟に入っていたのに、洞窟を仕事にするという発想はまるでなかったんです。でも、『大好きな洞窟に関われるかもしれない』と思ったらすごくワクワクして。二つ返事でお受けしました」

悠久の時や奥深さを体感してほしい
地元に戻り美祢市に申請をし、2024年10月、美祢魅力発掘隊員に着任。ガイドとして、一般の観光客を案内する日々が始まりました。
「お客様は一人ひとり、体力も興味も反応も全く違います。同じ説明をしても、伝え方や順番を工夫するだけで、驚きや納得の度合いが大きく変わる。それが本当に面白いです」

現在は、探検部時代に培った安全管理の知識に加え、洞窟学の知識も猛勉強中。洞窟の成り立ちからそこに秘められた物語まで、深く伝えられるよう日々ブラッシュアップを続けています。とはいえ定野さんが伝えたいのは、単なる知識だけではありません。

一般観光エリアの柵を越え、くさびを頼りに急斜面を下り、地下深くの川のほとりへ——。
ヘッドライトを消せば、完全な暗闇と川のせせらぎが参加者を包み込みます。ライトを灯すと、悠久の時を経て形成された、白い鍾乳石が荘厳な姿を現します。
「何億年という想像もつかない時間の長さや奥深さを、肌で感じてほしいんです。1cm伸びるのに100年以上かかるつらら石が、こんなにも連なっている。その事実を間近で見ることで、この自然を残していきたい、という意識を持ってもらえたら嬉しいですね」

秋吉台の魅力を、もっと広く、深く
定野さんにとって、他の洞窟と秋芳洞には決定的な違いがあると言います。「日本の洞窟って、入るたびにだんだん小さく感じるようになるんです。歩く場所も最適化されて、“洞窟との距離感”が縮まっていく。でも、秋芳洞は何度入っても大きいまま。空間がずっと広いので周りを見渡す余裕があって、来るたびに『あ、こんな場所に生き物がいたんだ』『この割れ目は前と違う表情に見える』と新しい発見があります。飽きっぽい私でも、全く飽きることがないんです」

隊員の任期は最大3年。その先のビジョンを尋ねると、「まだ分かりませんが、山口県が好きなので、ここで続けていきたい」と話します。
「今は洞窟がメインですが、美祢市秋吉台のカルスト台地を歩くのも本当に気持ちいい。Eバイクとケイビングをセットにして1日中自然を楽しんでもらうとか、色々な企画が考えられますよね」

常に新しいものを好み、変化を求める自身の性格は、新たな観光の形を模索するこの仕事に「すごく合っている」と感じています。
インドア派の少女が、雨の中の弁当をきっかけに自然の扉を開き、世界を巡って再びこの地へ——。定野さんの冒険は、まだ始まったばかり。彼女の目を通して語られる秋芳洞の物語は、これからも多くの人々の心を照らしていくことでしょう。
Profile
定野 愛美
ケイビングガイド (美祢魅力発掘隊員)
福岡県北九州市出身。立命館大学探検部でケイビングの魅力に開眼。在学中からインドネシア・スンバ島での海外洞窟調査に参加するなど、国内外で探検家としての経験を積む。大学院修了後、塾講師、スペインでのワーキングホリデーを経て、2024年10月より現職。「誰も見たことのない景色」を追い求める情熱と、地球への深い敬意を胸に、秋芳洞の未公開エリアを案内する専門的なケイビングツアーを催行。その活動は、Mine秋吉台ジオパークの魅力を国内外に発信する大きな力となっている。